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/ tag : myself , オウム
それが第三者にど伝わるのかはまた別のレイヤーで考えなくてはなりません。
僕は自分の書く文章に対して「これが正しい」などという自信はありませんし、その資格もありません。
270 :朝まで名無しさん :2006/03/13(月) 14:22:47 ID:c89jSM/9
こっちのがひどくね?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313%231142201603
(他のコメントは省略)
flagyx 『このエントリにどんなタグをつけるべきかはもう少し情報を調べてから考えます。』
なにこの揃いも揃って「真摯な態度」。怖いんだろオウムが。俺だって怖いよ。
だからって賢明ぶってんじゃねーよ、媚売ってんじゃねーよ。裏を読んで少しは悔しがれよ。
後ろに何があるか怪しむことぐらいやれよ。それがリテラシーだろ。
はてなユーザーって思ったより馬鹿なんだね。何で額面どおりに受け取るかね。がっかりしたわ。
はあちゅうみたいなわかりやすいのには罵詈雑言を浴びせて平気なのに、こういうのには弱いんだな。
ブックマークコメントに対する補足 (2006/03/13 16:00)
まず単純に情報が少なすぎます。現段階では本人の言葉しかありませんし、具体的な宗教名も明記されておらず、完全に団体から脱会しているのか否かも判断できません。なにより相談を受けた弁護士からのコメントもありません。現状では疑うことはできるにせよ否定も肯定もできません。
(さらに追記 :2006/03/13 17:40
滝本弁護士によるエントリが Post されました)
これは先に騒ぎのあった春日部共栄中学に対しても似ています。 僕の知っている情報ではどのような環境で周りからの情報を受け彼が育てられているのか把握できないため、僕はこの件について何かしらの態度をとることができません。
いずれにせよナイーブな話題なので、エントリを書くのにも少々期間を入れています。(以下、「オウム真理教と地元について」のエントリは一日寝かせてます)
今回の「ある出来事」から、 Web 上でオウムのことを語らなくなったらそれはそれでおかしな話だと僕は思います。あらゆる種類の声を潰してはいけません。
僕は、言葉を持つものとして今回のことを一つのきっかけに、あの団体は何だったのか、自分にどういう影響を与えたのか、そしてどう受け止めていくか、今どう活動しているのか、語られている言葉は何で、語られていない言葉は何であるのかを継続的に考えていきたいと思います。
先日からの続きです。
オウム真理教について僕が感じていることを書きましょう。
オウム真理教と地元
プロフィールに書いたように僕は無神論者に近い考えの持ち主なので、特定の宗教に対する大した思い入れはありません。
ただ、オウム真理教と聞くと僕は胸の中に嫌なものがこみ上げてきます。僕の実家は長野県大町市で、松本サリン事件の起こった松本には、休みの日によく買い物に出かけていました。そして、坂本堤弁護士一家失踪事件の龍彦ちゃんの遺体発見現場には、家から自転車で 30 分もあれば着く距離にあるようでした。
僕の抱えているオウムに対する負の感情というのは単純なもので、自分の知っている土地を彼等が利用したことに対する怒り、となるのでしょう。
事件が起きたのが 89 年、遺体が発見されたのが 95 年。僕がこちら (埼玉) の会社の寮で生活を始めたのが 94 年なので、当時いったい地元でどのように情報が流れていたのかを僕は知りません。事件をもう少し調べてみました。
wikipedia
坂本堤弁護士一家失踪事件
1989年から坂本弁護士はオウム問題を扱っていたが、同年10月下旬、教団幹部との話し合いが決裂。そのため麻原彰晃は信徒に彼の殺害を命じ、11月4日未明、村井秀夫、岡崎一明、端本悟、中川智正、新実智光、早川紀代秀が、坂本弁護士、夫人、長男(当時1歳)を殺害。遺体を富山、新潟、長野の山中に埋めた。遺体が発見されたのは1995年9月。実行犯には刺殺された村井を除く全員に死刑判決が出た。
坂本事件とオウム裁判
麻原公判 第25回 岡崎一明証人 検察官主尋問(97・2・13)
長野県大町市湿地帯の現場(龍彦)
検 お子さんを生めた長野はどういうところですか。
― 湿地帯です。11月4日の午後場所を決め、黒部観光ホテル1階のロビーにある公衆電話で麻原に報告しました。
検 穴掘りは誰がやりました。
― 私以外の5人が当たり、私は遺体を積んだ車の見張りをしていました。
検 穴はどれくらい掘ったか。
― 見ていないのでわかりません。中川の報告からすると1メートル位かと思います。早川の声で「この木を載せるから引っ張れ」といっているのが聞こえました。お子さんは裸でした。中川が車から、お子さんの死体を抱いていくのを見てわかりました。
大町ダム近くにメモリアルが置かれたことは聞いていたので、遺体が埋められていたおおよその場所については見当をつけていたのですが、具体的な場所までは頭の中に浮かびませんでした。
以下の記述を発見し、ようやっと頭の中に現場に行くまでのコースを描くことができました。
坂本弁護士一家殺害事件
遺体発見現場
大町温泉郷からアルペンルートを黒四ダムの方へ上る途中、別荘地の中にこの現場はあります。
目印は、進行向って右側に連なる山を見ていくと、縦に細く樹木が伐採され山肌の見えた部分が現れます。
その近くにある、「58」番の電柱が入口の目印となります。
少し昔話をしましょう
事件の起きた 1989 年といえば、僕が 14 歳の頃です。僕は中学 1 年の時はほとんど学校を休んでおり、中学 2 年になってから、今でいう保健室登校に近い形で徐々に登校をし始めています。中学 1 年の頃はわりとあらゆる事に絶望していたので、その後中学 2 年で体験した出来事や先生方は非常に貴重で素晴らしく、今の僕を形成する「血」のうちの一つとなっています。
僕が 14 歳の頃は、家族ともやっとうまくいくようになっていった頃でした。
二週間に一度、父は出稼ぎから家に帰ってきていました。そして時たま僕をドライブに連れて行っていました。父は建設会社に勤めていたので、自分が建設に関わった大町ダムや七倉ダム、そして黒部ダムを僕に見せたかったのでしょう。
両方ともしゃべるのはあまり得意な方ではなかったので、車の中は静かなものでした。ぽつりぽつりと会話を交わしながらも僕は運転席を見、フロントガラスから前の景色を見、そしてドアのガラスに映し出される景色を眺めていました。
景色、とはいえ、ダムの近くは基本的にはあまり面白いものは見えません。鬱蒼と茂った森の中に時たま猿が見える位のものです。周りは針葉樹なので薄暗く、道の端に車を止めエンジンを切れば、あっという間に「自然」の音だけの世界になるでしょう。耳を澄まさなくても鳥の鳴き声がよく聞こえ、近くには河原があるので、ゴーッという水の流れる音も聞こえます。
そのような場所に、6 年間裸で彼は埋められていました。自分の中で演出され強調されている感情とはいえ、僕はそこに「寂しさ」を感じざるを得ません。1989 年以後も、僕は何度か助手席に乗せられ、あの場所を通っています。遺体が埋められていた場所が僕の視界の中に入っていたことは間違いありません。そのとき僕が何を考えていたのかは覚えていません。
あれから 17 年が経ち、僕自身の成長があったかどうかを考えると怪しいものだな、と思います。ただ一つ確実に言えるのは、父にドライブに連れて行かれたあの場所の事を思い出すとき、僕は遺体が見つかった 95 年から、あのテロを行った集団が殺害を行い土の中に埋めた小さな子供のことも思うようになったということです。このエントリに書いたように。
場所がわかりましたので、次に帰省するときは、自転車で線香を持ち訪れたいと思います。
この話題はもう少し続きます。